2015/07/01
『仏遺教経』 −仏陀最期の教え−『釈迦』
『仏垂般涅槃略説教誡経』のこと
汝等比丘、当に知るべし。多欲の人、利を求めること多いが故に苦悩も亦多し。小欲の人、無求無欲にして則ち此の患い無し。直に小欲すら尚、応に修習すべし。何に況や小欲の能く諸の善功徳を生じるをや。少欲の人、則ち諂曲して以て人の意を求めること無し。亦復諸根の為に牽かれず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然として憂畏する所無し。事に觸れて餘り有り、常に足らざること無し。少欲ある者は則ち涅槃有り。是を少欲 と名づく。
汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は則ち是、富楽安穏の処なり。足ることを知る人、地上に臥すと雖も、猶お安楽とす。足ることを知らざる者は、天堂に処すと雖も、また意に称わず。足ることを知らざる者は、富めりと雖も而も貧し。足ることを知る人、貧しと雖も而も富めり。足ることを知らざる者は、常に五欲の為に牽かれて、足ることを知る者の憐愍する所と為る。是を知足と名づく。
出典 「法楽寺・『仏遺教経』」のページより http://www.horakuji.hello-net.info/horakuji/BuddhaSasana/Ekayana/yuigyoukyou/index.htm
釈迦の履歴 ウィキペディア「釈迦」 より
紀元前624年 - 紀元前544年 : 南伝(上座部仏教)説
生涯・誕生から青年期
十六大国時代のインド(紀元前600年)釈迦の父であるガウタマ氏のシュッドーダナは、コーサラ国の属国であるシャーキャのラージャで、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーである。2人の間に生まれた釈迦はシッダールタと名付けられた。母のマーヤーは、出産のための里帰りの旅行中にルンビニで釈迦を生み、その7日後に死んだ。
誕生に関して「釈迦はマーヤーの脇の下から生まれた」という話と、「生まれてすぐに7歩だけ歩いて、右手で天を、左手で地を指し、『天上天下唯我独尊』と唱えた」という伝説とがある。
「釈迦」の生没については諸説あるが、多くの支持を得ている(らしい)最古の生没を掲げる。 仏教の伝来
インドの釈迦によってはじめられた仏教が、シルクロードを経て中国に伝わったのは紀元前後のことです。中国で根付いた仏教は朝鮮半島に4世紀から5世紀にかけて伝わります。538年(552年説もある)、百済の聖明王から仏像や経典が日本に献じられました。仏教が日本に伝わるまでおよそ1000年の月日を要しました。
出典 仏教の伝来ルート - 嵐山町web博物誌 より
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