「禅の庭」写真水野克比古氏(光村推古書院)
 ブックカバー裏表紙より
        父の本棚を整理していて発見

 ただ、不思議に思うのは蹲踞だから真ん中の正方形には水が張られている。際を見るとせりあがった水が光っているのが見える。真上から撮影しておられると思うのだが、しかしカメラや撮影者が水面に写っていない。不思議だ。どのようにして撮影されたのだろう。



 京都の龍安寺というお寺に、上の図のように彫られたつくばいがあります。
 このつくばいは、有名なのでご存知の方も多いと思います。真ん中の水を入れる四角を共有すると上から時計回りに「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読めます。文字通り読めば「私は満ち足りていることだけを知っている」という意味でしょうか。「吾唯足知」というのは、もともと禅問答のようですが、簡単に言えば「満足することを知っている者は幸せであり、満足することを知らない者は不幸である。」ということかと思います。 この満足することを知るということは幸せに生きる為には、とても大切な事だと思います。

 「知足の蹲踞(つくばい)」は、 茶室蔵六庵の露地にある。蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。ここの蹲踞には「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが、その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれる。また水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯知足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、そのため一見「五・隹・疋・矢」と読める。水戸光圀の寄進と伝承されているが、一般拝観者が見ることのできるものは複製である。 (出典・龍安寺HPより)



上の図は以前インターネットで
拾ってきた画像を加工して1文
銭のようにアレンジしました。
元は「龍安寺」の栓抜きかな?

龍安寺石庭で売っている
「唯吾足知」の栓抜きは、こちら