「吾唯足知」漢文的に表現すれば「吾唯知足」でしょうね。
 京都の龍安寺というお寺に、下の写真のように彫られたつくばいがあります。真ん中の水を入れる四角を共有すると上から時計回りに「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読めます。文字通り読めば「私は満ち足りていることだけを知っている」という意味でしょうか。「吾唯足知」というのは、もともと禅問答のようですから、本来は一生かかっても悟る事ができないような、きっと難しい意味なのだと思いますが簡単に言ってしまえば「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。」ということかと思います。 この満足することを知るということは幸せに生きる為には、とても大切な事だと思います。(出典・http://www.happy-1life.com/waretada.htm)


 何時の頃から、この言葉とお付き合いし始めたか定かではありませんが、40歳の頃には出会っていたと思います。もう一つ「可能最善」と言う言葉が好きです。わたしの私なりの解釈は、「与えられた条件の中で、可能な限り最善を尽くす」です。「可能最善」も「吾唯足知」も共通したところがあると私は思っています。また、ボーイスカウトの掟の8番に「スカウトは感謝の心をもつ」とあります。これも「吾唯足知」に通ずるところがあると思っています。

は、Web_Pageにおけるわたしの紋所であります。.