
吾唯足るを知る
たかしの Web での「紋所」
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たかしは昔から「座右の銘」と言われる言葉の中に好きなのがいくつかあります。
学生の頃は「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)」(デカルト)でした。
それから「可能最善」(与えられた条件・環境の中で自己の最善を尽くす)です。「与えられた条件・環境の中」と言えば、小さな世間と捉える人もいるようですが、それは「その人の心」が捉えている世間で、「与えられた条件・環境の中」の大きさは人それぞれでしょう。
最近はもっぱら「吾唯足知」が好きな言葉です。「何があっても満足し、感謝で受ける」と言うことと理解しています。時々茶店のおばあさんの話をするのですが、
昔ある街道の傍に茶店が一軒ありました。「おばあさんは時折り茶店の前に出ては空を仰いで、晴れていたら傘屋に嫁いだ娘のことを思い『ああ、傘が売れないで困っているだろうな』と心配し暗い顔になってしまい、雨が降ったら下駄屋に嫁いだ娘のことを思い『ああ、下駄が売れないで困っているだろうな』と心配して暗い顔になるのでした。ある日のこと、通りかかった旅人がそのことを聞き『おばあさん、晴れたら下駄屋の娘が喜び、降ったら傘屋の娘が喜ぶのでは』と諭しました。はっと気がついたおばあさんは、それからは晴れた日には下駄屋の娘の喜ぶのを思い、降ったら傘屋の娘の喜ぶのを思い、いつもにこにこと明るい顔になったそうな。
何の状況の変化もないのに、おばあさんのこころの持ちようが変わるだけで、おばあさんの人生がかわるのです。何事にも不足に思う人もいれば、何事にも感謝で受けれる人もいるのです。
まあ、そのことのシンボルみたいな「吾唯足知」を、たかしは好きになりました。
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