新規書き込み 
2009/12/01




「吾唯足知」漢文的に表現すれば「吾唯知足」でしょうね。

 京都の龍安寺というお寺に、下の写真のように彫られたつくばいがあります。真ん中の水を入れる四角を共有すると上から時計回りに「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と読めます。文字通り読めば「私は満ち足りていることだけを知っている」という意味でしょうか。「吾唯足知」というのは、もともと禅問答のようですから、本来は一生かかっても悟る事ができないような、きっと難しい意味なのだと思いますが簡単に言ってしまえば「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である。」ということかと思います。 この満足することを知るということは幸せに生きる為には、とても大切な事だと思います。(出典・http://www.happy-1life.com/waretada.htm)


知足の蹲踞(つくばい)は、 茶室蔵六庵の露地にある。蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水を張っておく石のこと。ここの蹲踞には「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが、その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれる。また水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯知足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、そのため一見「五・隹・疋・矢」と読める。水戸光圀の寄進と伝承されているが、一般拝観者が見ることのできるものは複製である。 (出典・龍安寺HPより)


 何時の頃から、この言葉とお付き合いし始めたか定かではありませんが、40歳の頃には出会っていたと思います。もう一つ「可能最善」と言う言葉が好きです。わたしの私なりの解釈は、「与えられた条件の中で、可能な限り最善を尽くす」です。「可能最善」も「吾唯足知」も共通したところがあると私は思っています。また、ボーイスカウトの掟の8番に「スカウトは感謝の心をもつ」とあります。これも「吾唯足知」に通ずるところがあると思っています。は、Web_Pageにおけるわたしの紋所であります。