山陽道・西国(さいごく)街道
112年
A 綏靖天皇の時代に山陽道が開かれたということです。
この山陽道は後世と違い摂津から武庫川水系を北上し、
有馬郡,美嚢郡を経て播磨中央部を横断していました。
飛鳥より
まえ
山陽道が六甲山の北を通っていた説もある。
飛鳥
A 律令国家の施策として全国の国府を結ぶ街道,宿駅が
整備された飛鳥・白鳳時代には、難波宮から沿岸部を通っていました。
飛鳥
山陽道
8世紀年
万葉集に山陽道(古山陽道)を通る歌がある。
901年
菅原道真・須磨より山陽道を通り明石へ。(古山陽道を通る)
安土桃山
頃まで
京都から西宮までを、山崎道・西宮から下関までを山陽道と呼ぶ
安土桃山

明石の櫛淵(鉢伏山の南裾野)に道路をつけて、
  須磨浦海岸を山陽道がとおるようになる。
  「大公検地のおり」に開通したと言う説もある

 このサイトでは、残された迂回道を「古山陽道」と呼ぶ。

江戸
@ 京都の羅城門(九条通と千本通の交差点付近)から
B 下関の赤間関(あかまがせき)までを、西国街道と呼ぶ。
江戸末期
1868年
 開国に伴う西国街道の兵庫港迂回道として 徳川道をつける。
  朝霧川河口(大蔵谷)から神稜台・高塚山・白川峠・鈴蘭台・
  森林植物園・そま谷峠・五毛・篠原・住吉にいたる
現代
京都から兵庫県(姫路あたり)西国街道と呼ぶところが多い。
  兵庫県(姫路あたり)岡山県以西では山陽道と呼ぶところが多い。