「古山陽道」
近隣・関係年表
このページは私的に調査中のデータです。
時 代
年 号
ことがら ◆ 垂水郷土史
縄紋
紀元前
3000年
鉢伏南麓から縄文土器片発見。
古墳
4世紀
旗振り山にのろし場が出来る。
飛鳥
574年〜
    須磨(摂津の国)を畿内、塩屋(播磨国)畿内の外と定めた。
飛鳥
646年
大化の改新で明石の櫛淵までを畿内と定める。
大化の改新で垂水地方は播磨国明石郡に属す
国内整備に伴い「山陽道」も整備されたと思われる。
飛鳥
660年
    須磨の関を設置
奈良
710年〜
    奈良時代は山陽道とは「播磨、美作、備前、備中、備後、
    安藝、周防、長門」の国の集まりを指した。
奈良
749年
明石郡垂水郷は奈良東大寺の塩山荘園になる。
奈良
770年
多井畑の山に「疫神」を祭る⇒「厄神塚」
  神護景雲四年六月甲寅の日
   (神戸市須磨区多井畑町)
奈良
789年
    須磨の関を廃止
平安
794年〜
    平安時代も、山陽道は街道だけでなく「播磨、美作、備前、
    備中、備後、安藝、周防、長門」の国のことを指した。
平安
887年
菅原 道真 九州に往くとき、須磨より明石まで陸路を通る。
平安
901年
在平 行平 須磨に流されて、海辺で塩焼きをする。行平鍋
    松風・村雨と出会う。
平安
905年頃
延喜式が作られ「垂水郷」や「海神社」の名前が載る。
平安
958年
久昌寺創建(神戸市垂水区下畑町)
平安
1184年
一ノ谷の合戦
鎌倉
1192年〜
    
鎌倉
 
     
室町
1338年〜
     
室町
1352年
久昌寺に宝きょう印塔を建てる。(神戸市垂水区下畑町)
室町
15世紀頃
鉢伏山南麓に軍用道路建設。(明石の櫛淵)
室町
1488年
戦国城・下畑城築城。(下畑海神社)
安土
桃山
1575年〜

安土
桃山
1579年
羽柴秀吉の三木城攻めで、下畑城など焼かれる。
安土
桃山
1594年
太閤検地で堺川(境川)が播磨・攝津の国境(くにざかい)
    になる。
江戸
1603年〜
    〜1867年・山陽道は西国街道として整備される
江戸
1618年
徳川幕府が垂水一帯を明石藩下に入れる。
江戸
1688年
松尾芭蕉が鉄拐峯に登り、俳句を詠み、垂水から明石に
    行く。「笈の小文」に記述
リンク切れを発見したので修正しました 2017.04.13